知覚


早速のアドバイスをありがとうございます。(新しいブログへのログインが分からなくて…記事は読めます。こちらから失礼します。)

そうですね、神を選ばない自由もありますね。

私は父が逝くことに異存はないのですが、嚥下障害や手術は、神のパーフェクトな現れである父が経験する必要はなく、私が、自分や父のパーフェクトを見ることが出来れば、神の動きに沿っていない病は消えてしかるべきだと。

ただ、視点を神に譲ることが出来ないので、以前ラジが言っていたように、ラジの話が〈絵に描いた餅〉になってしまうのです。


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<視点を神に譲ることが出来ないので、

神の視点に譲る(自分を神に譲る)とはどういう事でしょうか?

それは自分の知覚や認識を信じるのではなく、
お医者さんが言ったこと(医学)をもとに未来を心配するのではなく、
人の体を見て、その状態からその人の真実を見ようとすることでもありません。

それは(神の視点に譲ることとは)あなたが何も決めておらず、あなたが何も知っていない場所(あなたが何も知ってない状態)です。
そこであなたは「人が病にかかっている」と知っていません。 お医者さんが何を言ったかあなたは知りません。
ラジが何を言っていたか、あるいは、このウェブに何が書いてあったか、あなたはそれも知っていません。

そこであなたが受け取るのは「神が実在しており、神があなたを愛している。そして神はあなたの全ての同胞を愛している。」ということだけです。
それを聞いて、あなたは安心するのです。それを聞いて、あなたは心配しなくなるのです。


神は「ステージ3の癌だから‥、 場所が喉と食道の境目だから‥、この歳だから‥、場所が場所だけに‥」とは言いません。
神は「あなたを愛しています」と言っており、その以外のことは言っていないのです。
だから「ステージ3の癌だから‥、 場所が喉と食道の境目だから‥、この歳だから‥、場所が場所だけに‥」と誰かが言っていたなら、
あなたの視点を私に戻して下さい。 

あなたに言われていることを全てそのまま信じ込まないでください。 「これは神を言い表してはいない」とわかったなら、あなたはそれを(何らかの権威があなたに対して言ったことを)を信じるべきではないのです。

お医者さんが言っていたことを信じているなら、あなたは神を信じていません。あなたは医学を信じているのです。
人の体の様子(見えるさま、聞こえるさま)だけを信じているなら、あなたは神を信じてはいません。 あなたは自分の知覚を信じているのです。